人物で読む日本経済史 第12巻 男爵近藤廉平伝 ゆまに書房

  • 商品説明・詳細

  • 送料・お届け

商品情報

箱に目立たないシール跡が二か所あります。また、本に蔵印がある頁が写真の通り二つあります。大正15年に出版されたものを復刻したものです。\r\r定価24,200円(本体22,000円) \rISBN 978-4-89714-605-8\r\r近藤 廉平(こんどう れんぺい、1848年12月20日(嘉永元年11月25日[1])- 1921年(大正10年)2月9日[1][2])は、幕末から大正期の武士(徳島藩士)、実業家、政治家、華族。男爵、日清汽船社長[3]、日本郵船会社第3代社長、貴族院男爵議員。\r\r1862年に徳島藩中老である仁尾内膳の書生となる。同年、新居水竹の小心塾にて益田永武と共に学ぶ。その後、柴秋邨の思斉塾に転学。当時出会った阿部興人とは終生の親友となる。師であった水竹が庚午事変に関係して切腹を命じられた際は、徳島市の潮見寺に遺髪を葬った。\r\r慶應義塾、大学南校に学び、1872年)淡路出身の星合常恕に勧められ岩崎弥太郎が経営する三菱商会に入る。岩崎邸内の英語学校に寄宿して生徒一同を取り締まる任務を与えられ、また商人としての訓練を受ける。25歳で吉岡鉱山に赴任し、事務担当として不採算事業だった鉱山を優良事業に転換させた。1878年、弥太郎の従妹・豊川従子と結婚、東京の三菱汽船へ異動する。北海道の開発に伴い貨物船の荷為替業務を開始したことが、後の三菱銀行の起こりとなる。1882年、長崎の高島炭坑の改正係として再建にあたる。1883年、三菱汽船横浜支店支配人となり、海運実業家に転身する。国策会社であった共同運輸と激しい競争を繰り広げるが、1885年に両社が合併し、日本郵船が誕生。本社支配人や理事、副社長を歴任する。1895年、日本郵船会社社長就任。26年にわたり日本郵船社長を務め、花柳界では「社長」といえば近藤のことを指すほどだった[4]。\r\r日露戦争中は遠洋航路用の船舶を引き揚げ軍用に供した。終戦後は、麒麟麦酒会長、函館船渠相談役、日清汽船社長、横浜船渠相談役など、多数の役員を務める。1911年に男爵を叙爵した。\r\r1918年、日本の船主代表としてベルサイユ講和会議に出席。1918年、貴族院男爵議員に互選され[6]、公正会に属し死去するまで在任。1920年、従三位勲一等。1921年、スペインかぜにかかり死去。
カテゴリー:本・音楽・ゲーム>>>本>>>人文/社会
商品の状態:目立った傷や汚れなし
配送料の負担:送料込み(出品者負担)
配送の方法:佐川急便/日本郵便
発送元の地域:東京都
発送までの日数:2~3日で発送

残り 1 7752円

(4 ポイント還元!)

翌日お届け可(営業日のみ) ※一部地域を除く

お届け日: 10月10日〜指定可 (明日12:00のご注文まで)

  • ラッピング
    ラッピング
希望しない
希望する ( +600円 )
希望しない
数量
同時に5点までのご購入が可能です。
お気に入りに保存

対応決済方法

クレジットカード
クレジットカード決済
コンビニ前払い決済
コンビニ決済
代金引換
商品到着と引き換えにお支払いいただけます。 (送料を含む合計金額が¥299,000 まで対応可能)
ペイジー前払い決済(ATM/ネットバンキング)
以下の金融機関のATM/ネットバンクからお支払い頂けます
みずほ銀行 、 三菱UFJ銀行 、 三井住友銀行
りそな銀行 、ゆうちょ銀行、各地方銀行
Amazon Pay(Amazonアカウントでお支払い)

大量注文に関して

30個以上かつ10万円以上のご購入はこちらからお問い合わせください

お問い合わせはこちらから